物語の始まり
🚀 物語の始まり:諦めの中で見つけた「食糧基地」への夢
私はこの地で生まれ育ちました。
かつては「農家の長男は家業を継ぐのが当然」という時代。
私自身も一度は他の産業に身を置きながらも、30歳で父を亡くしたことをきっかけに農業の道を選びました。
「どうせやるなら、農業だけで食べていこう!」
その決意のもと、農業法人を立ち上げ、県内随一の規模にまで成長させ、山形県のベストアグリ賞を二度も受賞する栄誉をいただきました。
立ちふさがる、現実の壁
しかし、理想とは裏腹に、農業の現実は厳しさを増すばかりでした。
**「コメ余り」を理由とする減反政策(水田転作)**により、水田の減反面積は年々増加。
この地域は真面目な国民性が強く、減反に参加しない者は「非国民的」な扱いを受ける風潮があったため、国の施策を受け入れるしかありませんでした。
問題は、私たちの地域が湿田地帯であることです。
他の作物への切り替えが難しく、結果として、周囲には耕作放棄地が年々増大し続けました。
迫りくる「地域の崩壊」
時が経ち、地域の多くの農業者は高齢化し、後継者不足から離農が加速。
耕作放棄地はますます増え、このままでは残った少数の農家だけでは、水路や水門といった広大な地域の維持管理が不可能になるという現実が目前に迫っています。
「世界の人口が増加する中で、いずれ必ず食糧問題が起こる」と言われながら、目の前の農地が荒廃していくという、全く馬鹿げた状況を見過ごすことはできませんでした。
誰かが声を上げ、行動を起こす時だと、ずっと考え続けてきました。
✨ 変化の兆し、そして新しい夢
しかし、農業の現実は複雑で、個人の力ではどうにもならない壁がありました。
農業政策は一律で、水田への助成金が減る中で、地域の活性化など夢のまた夢。
諦めかけていた時、ようやく変化が訪れたのです。
地元に本社を置くグループ企業が、このままでは地域が、地域の農業が廃れてしまう。
何とかしようと、私たちの思いに共鳴し、行動を起こしてくれました。
ここから、新しい物語が始まります。
「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。
故に、夢なき者に成功なし。」
— 吉田松陰
地域の未来と、自分たちの食糧を自給する夢を掲げ、私たちはこの地で立ち上がります。
経 緯
⏳ 経緯のまとめ:地域農業の衰退と「新しい夢」への転換
この地域農業が直面してきた構造的な課題と、そこから生まれた「食糧基地創生プロジェクト」の必要性に至るまでの経緯をまとめます。
📉 6年間にわたる衰退と無策の時代
【深刻化する地域の現状】
離農者の急増: 6年前から離農者が急増し始め、それに伴い耕作放棄地が急増。
担い手不足: 後継者があまりにも少なく、地域の農業組織の崩壊が目前に。
維持管理の限界: 残った担い手だけでは、荒廃地の増加により、地域全体の農地と非農地(耕作放棄地)の選別、つまり維持できるエリアと手放すエリアの明確化が現実のものとなった。
不作為の連鎖: これらの問題に対し、**「誰も動かない」「農業問題はいつも先送り」**という状況が続いた。
【この地域の特殊性】
農地集積の困難: 家が一軒もない水田湿地地帯であり、周辺の20数集落の農家が混在して耕作していたため、農地の集積が進むはずのない特殊な構造だった。
「我田引水」の構造: 多くの農家が短期的な利益や慣習に囚われ、将来的なビジョンを持てなかった。
🔄 6年前からの試みと限界
【試みたアクション】
農地返還の推進: 将来の農地利用システムへの転換を見据え、自ら借農地の返還を進めた。
農地集積の実現: その結果、わずかながら担い手農家への農地集積は進んだ。
【立ちはだかった壁】
耕作放棄地の急増: しかし、離農者の急増がそれを上回り、集積が進んだエリアの外側で耕作放棄地も急増し、「借り手がいない」状態となった。
衰退の原因: 根本原因は、一律で場当たり的な農業政策にあり、これに関わった関係者や議員の責任は重いが、誰も責任を取らず去っていった。農業は「生きるための食糧生産」であるにも関わらず、既得権益の世界に染まっていた。
🚧 国策「地域計画」の遅延と残された課題
【地域計画の現状】
国策として、10年後の地域の農業を話し合う「地域計画」がようやく始まった(令和7年3月まで国に報告義務)。
話し合いの結果、地域内水田500haのうち182haの区画整備事業が計画された。
しかし、自治体には金がなく、実現時期は未定。
残りの318haの農地をどうするかについては、話し合いに至っていない。
【行政・農地所有者の現状】
農地所有者、農業機関に対し、荒廃農地をどうするのか(自然へ返すのか、整備するのか)を問うても、**「どうしたら良いのか解らない」**という返答しか返ってこない。
これは、昔から百姓が行政の命令に従ってきた歴史(責任は国にあるという意識)と、既得権益の維持(JAや土地改良区が賦課金を徴収し続ける)という構造的要因による。
耕作放棄地が増えれば、土地改良区費や固定資産税などの経費負担が地主(農地所有者)に降りかかるにも関わらず、「自分に火の粉が降ってこないと動かない」状態。
🎯 新しい農業システム創設への決意
【既存組織の限界】
既存の地域農業組織はまもなく崩壊する運命にある。
本来、農地管理を担うべきJAや土地改良区も、大型合併から30年が経ち、その役割を果たしておらず、先人の言葉通り「組織は肥大し、いずれ崩壊する」状態にある。
【「夢」への転換】
このままでは、次の世代に食料不足が来るという危機が迫っているにも関わらず、行政・既存組織に期待できない。
土地改良事業に頼れば、行政の資金不足で完成までに何十年もかかり、その前に農地は確実に荒廃し、地域から人がいなくなる。
⇒ 結論:国や既存組織に頼らず、自分たちでやるしかない。
この現状を**「モデル」として捉え、「食糧基地創生プロジェクト」**を立ち上げ、新しい農業を築くことを決意しました。
目指すもの:
誰でも参加できる農場(消費者・需要者も含む)の創設。
最先端農業の導入。
全自動化(用排水管理、水田水管理、機械作業など)を目指す。
自由な農業: 国の施策に縛られず、自分たちの食糧を作る「夢」ある農業を追求する。
発起人のあいさつ
📣 発起人あいさつ:農業の「夢」を取り戻すための革命
私はこの地で農家に生まれ、30歳で父の他界を機に会社を辞め、家業を継ぎました。その時、**「どうせなら農業だけで食べていけるように」**と決意し、任意組織を経て平成6年に農業法人を設立。県内トップの規模を誇り、「山形県ベストアグリ賞」を二度受賞するまでに成長させました。
当初の目標は、60歳での引退と後継者への継承でした。しかし、今の農業を取り巻く環境は、あまりに厳しいものです。
「後継者に、将来の食糧不足のために農地を守ってほしい!」—そう胸を張って言える状態ではありませんでした。
🚨 内部から見た「農業崩壊」の現実
私はこれまで30年間、どうすれば自立した農業ができ、若者が夢を持てるのかを追求し続けました。法人経営、会計、販売、流通、そして複雑な農業政策まで、徹底的に実践と研究を重ねました。
その結果見えてきたのは、**「なんかおかしいね」**という農業の仕組みです。
自由の制限: 昔は大変でも、自分の発想で新しいことにチャレンジできる自由がありました。しかし、規制は厳しくなり、特に稲作地域で米を作るなという減反政策は、死活問題であり、「つや姫」や「雪若丸」の栽培許可さえ県の意向に左右されるという、理不尽な構造です。
経営の虚しさ: 経営には継続が大事、そのために自分への「嘘」さえ必要な場面もありました。しかし、私は**「見て見ぬふり」ができない**性格です。既得権益と複雑な問題が絡み合い、難しい問題は常に先送りされてきました。
幹部の諦め: 20年ほど前、ある農水省幹部から**「このままでは農業が駄目になる。何とかしなければいけないのだが、できないんだ」**という言葉を聞きました。この言葉が、私の中でずっと残り続けています。行政や関係機関には、もう期待できないことを知っています。
🔄 概念を壊し、夢ある農業へ
我が国は、食糧や肥料を輸入に依存し、国際情勢に大きく左右される時代になりました。既に「先進国」ではなくなりつつある今、将来の食糧不安は誰の目にも明らかです。
私は、この状況を打開するため、長年考え抜きました。
「将来の自分の食糧は自分で確保しよう。一番無駄のない方法は、生産者と消費者が直接手を組むことだ。」
これは、農業という「概念」を改めることです。そして、この仕組みを一度ぶっ壊すことが必要なのです。
町長との約束: 私は町長に「今の現状で後継者に農業を継いでほしいと言えますか」と尋ねました。返答は「言えねえ」。だから私は言いました。「じゃあ、俺がやってみる。やりたいようにやらせてもらう」。もし失敗したら、私と息子は農業を辞めます。それほどの覚悟で臨みます。
民間主導の改革: 改革は、政治や行政に頼るのではなく、民間が先頭を切って進めないとできません。 農業を知り尽くした人間が、内部から変えるのが最も早いのです。
歴史を壊す覚悟: 私は、一度築いた自分の歴史と既存の仕組みを壊し、次の世代の若者が農業に**「夢」**を持てるように準備してきました。デジタル化が進んだ今こそ、その時が来たと確信しています。
🌱 食糧自給へ、新しい旅立ち
地域農業は既に崩壊目前です。この問題は、行政、関係機関、農家、そして戦後の農地解放以来初めての多数の地主と少数の小作人という複雑な関係が絡み合い、これまでの常識では解決できません。
だからこそ、私たちは動きます。
「誰が正しいかはやって見ないと解らない。」
私は、まず私とスタッフ、そして賛同する消費者が一緒になって農場を目指すことで、このやり方が世間に大きな影響を与えると信じています。
これは私の宿命かもしれません。様々な経験を積み重ねてきた今、その役割を果たす時が来ました。地域の実力者も動き始めました。
国を頼らず、自分たちの食糧を確保し、新しい「夢」ある農業を創る。これが、私たちの食糧基地創生プロジェクトです。
発起人のプロフィール
| Work Experience |
|---|
| 生年 1957年 |
| 職歴 |
| 昭和51年~昭和62年 |
| 昭和51年農業高校卒業 |
| 家業も手伝い社会で働く |
| 車両・建設機械・特殊機械の整備サービス |
| 建設工事、建築組立工事 |
| コンクリート圧送オペレーター |
| コンクリートミキサー運転手 |
| 大型クレーン運転士 |
| 除雪機械オペレーター |
| 重機運搬 |
| 機械保全業務 |
| ICチップ選別機械オペレーター |
| 昭和62年、父の他界で農業に従事 |
| 平成元年 任意農業組織設立 |
| 平成6年 農業法人設立 |
| 現在に至る(詳細な事業歴は下記をご確認下さい) |
| 株式会社屋代郷 沿革 |
| 「取得資格免許等」 |
| 普通運転免許 |
| 大型特殊運転免許 |
| 大型運転免許 |
| 移動式クレーン運転士免許 |
| 移動式クレーン運転業務特別教育講習修了証 |
| 車両系建設機械運転技能講習修了証 |
| 玉掛け技能講習修了証 |
| 産業用無人ヘリコプター技能認定証 |
| フォークリフト労働安全法による技能講習修了証 |
| 自動車3級整備士 |
| 日本農業技術検定2級 |
| (趣味)PC、映画、音楽、グルメ、釣り |